ほんとうは、籠を捨てて、歌いたかった。
深い、黒い森の奥で
おんなが てまねきして いった
「これを、お食べ」
ガブリと躊躇なくかぶりついたその球体は血の色をしていて、噛みしめれば噛みしめるほど子宮が痛み、子宮口からは5センチの胎児が出てきた。赤黒い体液を洗い流せば、胎児は青白く輝き、私はまた、それを食べた。自分を食べる、自分を、自分を、永遠にループするように食べる。食べて、生きる。
冷たい、パリの路地裏で
おんなが てまねきして いった
「これを、お付け」
長く鋭く尖った爪から手渡されたそれは金色に輝く指輪だった。私はそれがずっと欲しかったのだ、ヨハネの首を懇願するサロメのように。それを付ければ、私は街で一番の人気者になれるはずだった、私のなりたかった「私」になれるはずだった、輝けるはずだった。
左手の中指にはめると指輪は抜けなくなり、瞬く間に黒ずんだ。襟元が大きく開いたドレスを着て、毛皮のコートを羽織りながら街に立つ。「誰か私を買ってください」と。手・招・き し・な・が・ら。
ああ あの おんなは わたくし だったのだ
狭い、屋根裏部屋で
おとこが わたしをだいて いった
「これを、お飲み」
差し出された液体は深く赤みを帯びて、飲み干すとそれは男の血の味に似ていた。痛すぎるセックスに耐えようとして(でもそうでもしなければ生きていけなくて)、思わずガブリ、と噛みついたとき、男の肩からわずかに出た、血の味に。お札をベッドにそっと置いた男の後ろ姿を、私はぐさりと刺して、食べた。お前を食べる、食べる、食べてやる。食べて、養分にして、生きてやる。生き延びてやる。
ほんとうは私も街に出て、果実も指輪もワインも、マッチや何やらがすべて詰まった籠すらも(ああ、私を囲んでいるこの頑丈で窮屈すぎる籠というものを、醜い社会というものも)全部棄てて「私の名前はミミ」とでも、大声で歌い、響かせたかった。通りすがってゆくすべての人々に、私の存在を知らせたかった。知ってもらいたかった。
けれども わたくしには
なまえが なかった。