片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

ある道化師の話

道化師は踊るよ

道化師は踊る

光に照らされた狭い舞台の上で

あるいは北風のふく公園の一角でね

そうしてみんなを笑わせて

 

踊り 動き そして笑い声 拍手 少しの小銭

それが彼にとっての一番の生きる喜びで

客の反応を見て 彼は演技を変えてゆく

それは まるでサーカスみたいだ

 

それから狭い楽屋で白塗りのメイクを落として、家路につくのだ。

どうしてこんな毎日なんだろう、

空虚に負けそうになるから、夜にはいつもウイスキーを瓶のままで呷ってしまう。

家には誰もいない。話せる人なんて誰もいないから、

眠れない夜はウイスキーで睡眠薬を流し込む。

夢の中ならば、彼を嘲る大衆はいない。

 

 こどものころは おとうさんも おかあさんも やさしかったよ

 ぼくに たくさんべんきょうしなさいと いいがっこうへいきなさいと いった

 ぼくはがんばった がんばったけど いまは こんなしごとだ

 やちんもはらえなくて おとうさんにしゃっきんだってしてしまって

 それでも ひとをよろこばせているから

 おとうさんや おかあさんが ぼくの芸をみてくれて よろこんでくれるならばね

 ぼくにとって それは とてもうれしいことなんだよ

 

そうしてまた一日がはじまる

眠れなくても朝はくる 舞台の時間はやってくる

 

だから道化師は、散らかった部屋にかけてある衣装をまたトランクに詰めるのだ。

道化師の芸を待っている誰かが街角に、確かにいるのかもしれないのだし、

彼女はカフェでコーヒーを飲んで時間をつぶしているかもしれない。

 

そんなことも、もう、どうだっていいのだ。

人生はぐるりぐるりと変わるんだからね、

いつか道化師を名乗らなくなるかもしれなくても

どうでもいいのだ

 

 ぼくは いまは 道化師だけれど

 ちゃんと にんげんとして いきているんだからね

 かみさまは きっとそれを みてくださっているからね

 ぼくの いのちが燃えているかぎり

 こまかいことなんて どうだっていいのだ

 きっと、ね。

 

踊るよ 踊るよ ずっと 踊るよ

夜明けまでね 地球が爆発してしまうまでね

踊るよ 踊るよ ぼくは 踊るよ

 

(※ジョルジュ・オーリックによる「オーボエクラリネットファゴットのためのトリオ」を聴きながら書いてみました)