片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

生きること、拍動

心臓は24時間、意識せずともビートを刻んでいて、

ICUでは今夜もいくつものグラフが動きブザーがいつも鳴っている。

死にそうな老人はナースコールのボタンも押せずに、

白衣を着た看護師たちが夜中じゅう飛び回っている。

 

鼓動 重低音 履き潰すドクターマーチンの重いブーツ

iPhoneにイヤフォンでも付けなければ乗れない満員電車

 

臓器はいつも、グロテスクに蠢いている。

酒を飲みすぎれば血のような色の吐瀉物が出て

煙草を吸いすぎればまるで水みたいなうんこが出てきて。

それでも、胎児はほんのりと白く光り、その日を待つ。

 

女の股から出てくるどす黒い血の塊

汚いと言えよ、不浄だと、いくらでも罵れよ

これが これこそが 生きているということだ

 

 こどものころのようにむじゃきにおんがくがしたかった

 はなうたのようにうたっていたかった あおぞらのしたで

 だけど それは これからでもできるや

 それならば ぼくは ずっと こどものままでいい

 

いや 私たちこそが音楽だ

みんなが音楽だ 人類は音楽だ 人体は楽器だ

生きている限り 心臓が動いている限り

鼓動が 拍動が 絶え間ないビートが

 

高円寺の狭いライブハウスに ロックバンドの爆音は響いて

ライムを挿した瓶入りのコロナを飲み干すけれども

どんなにアンプが電気の力で仕事をしようとも、

 

ずっと 心臓は とめどなく動いていて

ぼくらは 生きている限り 動いていて

ねているときも おきているときも。

 

だからこそ ぼくらは生きている限り

ビートを刻み続けて

そして、心臓が止まるまで、人生を刻む。