片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

私の生活、愛すべきこと

道化なのだ、すなわち。

私の人生とは 生活とは 表現とは

空虚で 全世界に公開する自慰で

くだらない。くだらない。くだらない。

 

自慰を見る人がいるならばね。

意地でもぼくがそれを魅せ続けることができる、ならばね。

 

ストリップ劇場の女優は優美に踊って一枚一枚脱ぐのだろう

ヴェールを ひらりひらりと

サロメのように

愛しい人の首を 銀の皿に置いて くちづけした サロメのように!

 

愛しい人は いつも 髪の毛がもしゃもしゃとしていて

まるでヨハネのようだ

愛しい人は 愛しいから 刹那であってもそれは愛しいのだから

しかしながら この愛は 永遠に続かないものなので

もしも私がサロメのように猟奇的ならば ホルマリンで漬けるでしょう

 

恋人の標本は 部屋の本棚の隅に飾った。

無機質な茶色い瓶は、資料を探していたら床に落ちて、割れた。

私は 恋人の死んだ目を眺めて

セックスのときだけに見せる 愛すべき表情を 思い出した。

 

そうして、残る私は 孤独だ。

私は 恋人には 理解されていないから、

ヨハネに 一方的に恋い焦がれているようなものである。

銀の皿に垂れる血を 狂おしいほどの愛を込めて舐めずとも、

私は すでに 孤独だ。

 

しかし 自らの暮らしに 希望を持つしかないのだ。

くだらない自慰に そこにどうか 私の信条があるならば

愛を語り合いたいと願う多くの人たちの役に立つのならば

そこに希望はあるのだ と思っている。

 

ジョン・レノンのようなセックスは 生きるうえで重要なのだ。

誰が 社会的なシステムに沿って 書類を出した人以外と

セックスして 人生を謳歌する私の権利を奪えるのだろうか!

ゆるぎないし、ゆるぎたくない 誰にどう言われようとも。

私は その点で 恋人のことを とても愛しているのだ、

と思う。

子供なんてね、要らないんだ。ちっともね、要らないんだよ。