片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

わかち合うとは何か

スヌーピーのアプリを開いたら、誰かよくわからないけれど気楽で哲学的そうな女の子のキャラクターが「喜びは誰かとシェアしてこそ大きくなるのよ」と言っていた。そういえば小沢健二も「喜びを他の誰かとわかち合う!」と明るく楽しく歌っていた、そんな90年代だった。今私にはわかち合いたい人などはいないような気がする。自業自得だと冷たく切り捨てる声しか聞こえない。とてもとても干渉してきて距離のとり方を間違えている母親のことであったり、「30になってまでいい加減なセックスをするな」と初対面の人に罵倒されるような間柄の恋人であったり。人間関係としていい加減なセックスをしているのは私だが、セックス自体は特にいい加減ではないどころか充実している。そうこうしているうちに結局孤独のうちにこもるしかないのだ、と思う。年をとるごとに気むずかしい音楽家のような性格になってゆくのだろう、それはあまりにも想像するのがつらいことだ。なぜ、いつまでもあまりに価値のない矢が体に突き刺さったまま取り外せないのか。あまりにも深く見事にズブリと刺さっているので、このまま私の肉塊を焼いて食べてしまえば愉快だな、と、実に趣味の悪いことを思いついた。そうして、私は咀嚼され排出されて地中に入りこんで、いなくなることができる。