片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

メメント・モリ、または桜。または、舞台。


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桜は、天国への一番近い扉です。

昔の人が言っていました、桜の木の下には人間の死体がたくさん埋まっていて、その養分で桜は咲くのだと。人間の、もう人間ではない物体の、腐ってどろどろに融けて、地下深くにはりめぐらされた桜の根っこたちに吸収される、タンパク質。かつてタンパク質だったもの。

私たちは公園でブルーシートを敷いて酒盛りをします。花を愛でながら。唐揚げの入ったお弁当を食べて友人と談笑します。安いお酒で陽気に酔っぱらって、二日酔いになったりもします。

昔は結核の隔離病棟だった東京の一画も、今はすっかり自然豊かな公園に様変わりしました。子供たちは芝生の上ではしゃぎ、若者はジョギングに精を出し、老人はそれを微笑んで眺めます。ホームレスは日がのぼっている間、無料のビタミンDをできるだけ摂取できるように日向で眠っています。今のところ、太陽は地球に優しい星です。

私の祖父が死んだとき、ちょうど桜が咲いていて、ずっとずっと続く桜並木の下を、遺影と棺桶を抱えてゆっくりと葬送行進したのでした。

「桜の季節に死ぬのは、ずるい。」
と、春に家族を亡くした友人は言いました。
「だって、思い出してしまうから。」

誰にも告げずに、自ら向こうへ出かけていってしまったある友達のことを、夕方、桜の上の空を見上げて、ふと思い出しました。神も仏も信じなくても、きっと空はつながっていることでしょう。天国なんてくそくらえだ、なんて言ってはみても、どこかにそういう空間はあるのでしょう。そう、信じなければ、せめてそんな宗教観にでもすがらなくては、私たちはきっと生きていけない。人間にとって、死者との別れはあまりにも、大きなことですから。

ああ、
そこでみんなに愛されていた正直者の祖父が、
はにかんだ笑顔でプカプカと
長年やめられなかった安い労働者用の煙草の煙を
ゆらりゆらりと、高く高く、
何も案ずることなく、
ずうっと、作り出していますように。
子供だった私たちにまるで手品のように見せてくれた、あの煙の輪っかたちも、ぷかぷかと空に浮かんでいますように。

ああ、
水煙草と音楽をこよなく愛していた友人よ、
雲の上から私を見下ろして、相変わらず馬鹿だなあ、なんてこぼしてにやりと笑いながら、
一番好きだった甘い甘いフレーバーの葉っぱを燃やして
ゆらりゆらりと、くゆらせていますように。
彼女の自慢だったウイスキーのスキットルが、その手元にしっかりと掴まれていますように。
ドクターマーチンのブーツは、そこでは履きやすいですか?

もう一度、「天国なう。」なんて、電子の海に投げてくれませんか?あなたの、言葉を。


そうなのです、電子の海でさえそこには届かないのです。私たちの世界は永久に断絶されてしまった、死によって。あなたの言葉をもっともっと読んでいていたかった。あなたの日常にもっともっと共感し続けていたかった。



そうして、桜の下で私は煙草を吸うのです。桜は、天国への一番近い扉です。花はぽろりと簡単に首が取れて、さらさらと花びらたちは風に流されてゆきます。春が来るといつも、死者たちのことを思います。千鳥ヶ淵は今年も満開だったのでしょうか。

死者たちが埋まる土を、養分を多く含んだ東京の土を、アスファルトでコーティングした道路を私たちは今日も歩き、自転車に乗り、死者たちの世界を切り開いた地下鉄に乗ります。放射能や有害物質は絶えず空気中を漂い続け、生者の世界は今日も戦争が起こりそうな緊迫感だらけです。それでも、希望がないわけではありません。遺体がたくさん沈んでいったあの海から、おいしい魚がまた水揚げされるようになりました。希望がなくては、私たちは生きてはゆけないでしょう。(人間はパンだけで生きられません。)

メメント・モリ。いつか死ぬことを忘れるなという昔の人の警句です。さあ、おいしいものを食べましょう。牛や豚や鳥や魚や、いろんなものを殺して皮を剥ぎ切り刻んで、挨拶やお祈りをきちんとしてから、その命をいただいていきましょう。生きている歓びを、ベートーヴェンのあの合唱のように、ニ長調の輝かしい明るさで感じてゆきましょう。

生と死はいつも隣り合わせ。だからこそ、生きることは美しい。

フィナーレを。輝きを。聖霊を。ことばを。光を。メロディーを。響きを。ここは、舞台です。生者の世界は、きっと、誰かの手のひらのうえに建った劇場の、小さな小さな舞台です。私たちは今日も、明日も、そこで暮らしていく。演じていく、生を。誰かに耳元でそっと、もういいんだよとささやかれるまで、ずっと。