片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

不眠症短歌12

つけてきたトリートメントのにおいを「悪くないね」ときみはつぶやく

眠剤をちゃんと飲んでもギラギラと頭は冴えて4時半になる

ちゃんとする、ちゃんとしなきゃと言いながら何もできない、脱出したい

「運命の人じゃない」って思うけど、今のぼくにはきみしかいない

「メンヘラ」で暮らせないのは嫌だから、少しずつゆけ、コツコツ進め

ヴァセリンを毎晩厚く唇に塗るのは君とキスしたいから

嫉妬する醜い気持ちを赦せずに君のpostを見られずにいる

自立したひとりのひとでありたくて、だから恋とか描きたくなくて

感情をぶつけて書いた文章を褒めてくださる人の優しさ

これからも、えがきつづけていたいから、痛々しくて弱っちくても

ポケットに入れたら増えるビスケットみたいに文も書けたらいいな

「少しずつ善くなっている、何もかも」そう信じれば夢も見られる

不眠症短歌11

ホッピーのジョッキ飲み干し追加して記憶を失くす、雑踏の中

酔ったあと、記憶ないのにまぐわって、朝死にたくてクスリ飲んでた

恋人の好きなビールをこっそりとローソンで買う毎晩の癖

シャッターを閉じた飲み屋を通るたびいたく感じる人のさみしさ

男ども、やめてくださいカクテルにクスリを入れてレイプするのを

星屑が降る空の下、君だけと今晩飲もう、朝が来るまで

 

(※テーマは「酒」でした)

まぜられてゆく、わたしたちは、そして、

「生理が終わらないからまだ血が出るよ」って

それでもなかなか会えないもんだからね、

 

真夜中にタクシー飛ばして

仕事で疲れたきみのもとへ

 

運転手さんに愚痴りながらね、

あくびしながら窓の外を見たら 星屑が降ってた

 

たぶん、きっと、きみのぜんぶをすきなんだろうけれど

よく、まだ、わからないなあ。

そんなことは、きっとどうでもよくって。

 

きみに あいにゆければ よい

 

翌朝めざめても きみはなかなか起きなくってね、

シーツを見ると 精液と血で染みができていて

なんだかうまく混ざり合っていた 水彩画みたいに。

 

いのちをつくっているんだ わたしたちは

いのちをたのしんでいるんだ わたしたちは

そういうふうに いとおしくおもった

 

だけどね、普段から恋い焦がれているわけではないのだ

いま、これが、くらしの一部だということが 少しうれしいだけでね、

 

(またきっと夜空を見てため息をつくんだろうけれど。その深さに。溺れそうになるからしっかりつかまっている。濁流に濁流に濁流に、うずを巻いて混ぜられてゆくその中に溺れきらないように、息がちゃんと吸えるように、穏やかに暮らせるように。)

ある道化師の話

道化師は踊るよ

道化師は踊る

光に照らされた狭い舞台の上で

あるいは北風のふく公園の一角でね

そうしてみんなを笑わせて

 

踊り 動き そして笑い声 拍手 少しの小銭

それが彼にとっての一番の生きる喜びで

客の反応を見て 彼は演技を変えてゆく

それは まるでサーカスみたいだ

 

それから狭い楽屋で白塗りのメイクを落として、家路につくのだ。

どうしてこんな毎日なんだろう、

空虚に負けそうになるから、夜にはいつもウイスキーを瓶のままで呷ってしまう。

家には誰もいない。話せる人なんて誰もいないから、

眠れない夜はウイスキーで睡眠薬を流し込む。

夢の中ならば、彼を嘲る大衆はいない。

 

 こどものころは おとうさんも おかあさんも やさしかったよ

 ぼくに たくさんべんきょうしなさいと いいがっこうへいきなさいと いった

 ぼくはがんばった がんばったけど いまは こんなしごとだ

 やちんもはらえなくて おとうさんにしゃっきんだってしてしまって

 それでも ひとをよろこばせているから

 おとうさんや おかあさんが ぼくの芸をみてくれて よろこんでくれるならばね

 ぼくにとって それは とてもうれしいことなんだよ

 

そうしてまた一日がはじまる

眠れなくても朝はくる 舞台の時間はやってくる

 

だから道化師は、散らかった部屋にかけてある衣装をまたトランクに詰めるのだ。

道化師の芸を待っている誰かが街角に、確かにいるのかもしれないのだし、

彼女はカフェでコーヒーを飲んで時間をつぶしているかもしれない。

 

そんなことも、もう、どうだっていいのだ。

人生はぐるりぐるりと変わるんだからね、

いつか道化師を名乗らなくなるかもしれなくても

どうでもいいのだ

 

 ぼくは いまは 道化師だけれど

 ちゃんと にんげんとして いきているんだからね

 かみさまは きっとそれを みてくださっているからね

 ぼくの いのちが燃えているかぎり

 こまかいことなんて どうだっていいのだ

 きっと、ね。

 

踊るよ 踊るよ ずっと 踊るよ

夜明けまでね 地球が爆発してしまうまでね

踊るよ 踊るよ ぼくは 踊るよ

 

(※ジョルジュ・オーリックによる「オーボエクラリネットファゴットのためのトリオ」を聴きながら書いてみました)

やはりわたしは、

「やはりわたしは、

 あなたが好きだ。」

 

必要な言葉はただ、それだけなのだった。

失恋したっていいさ、

なんだって人生の糧にはなるだろう。

人生はぐるぐると変わってゆくからね。

 

それでも今生きている歓びがあって

それを与えてくれていることも

とても 好きだ

そう思う。

ねむりにつくまえにね、

いつもいつも
ふとんにもぐりこんでも
ねむれなくてね、

しごとのことをかんがえたりいろいろ
インターネットをみたりして
めも あたまも ぎらぎらして
からだは ふらふらなのにね、

そうして ねむれないうちにね
ゲームをしたりして
そのうちにまたうかんでメモしてね、

やってるうちに、
だれか たすけてください!
ぼくは ほんとうは いきていたくなんかないんだ!
なんてね、
いいたくなることがあるんだ
しょうどうてきに、ね、

そんな ふあんがあるからね、
ずうっと ねむれないのだけれどね
しんぱいは してほしくないんだ
とても げんきに ひととはなしているし
ひるまは だいじょうぶなんだよ、

ねむるまえがこわいだけだから。
ねむりにつくまえがね。
それは しぬことと にているからね。

生きること、拍動

心臓は24時間、意識せずともビートを刻んでいて、

ICUでは今夜もいくつものグラフが動きブザーがいつも鳴っている。

死にそうな老人はナースコールのボタンも押せずに、

白衣を着た看護師たちが夜中じゅう飛び回っている。

 

鼓動 重低音 履き潰すドクターマーチンの重いブーツ

iPhoneにイヤフォンでも付けなければ乗れない満員電車

 

臓器はいつも、グロテスクに蠢いている。

酒を飲みすぎれば血のような色の吐瀉物が出て

煙草を吸いすぎればまるで水みたいなうんこが出てきて。

それでも、胎児はほんのりと白く光り、その日を待つ。

 

女の股から出てくるどす黒い血の塊

汚いと言えよ、不浄だと、いくらでも罵れよ

これが これこそが 生きているということだ

 

 こどものころのようにむじゃきにおんがくがしたかった

 はなうたのようにうたっていたかった あおぞらのしたで

 だけど それは これからでもできるや

 それならば ぼくは ずっと こどものままでいい

 

いや 私たちこそが音楽だ

みんなが音楽だ 人類は音楽だ 人体は楽器だ

生きている限り 心臓が動いている限り

鼓動が 拍動が 絶え間ないビートが

 

高円寺の狭いライブハウスに ロックバンドの爆音は響いて

ライムを挿した瓶入りのコロナを飲み干すけれども

どんなにアンプが電気の力で仕事をしようとも、

 

ずっと 心臓は とめどなく動いていて

ぼくらは 生きている限り 動いていて

ねているときも おきているときも。

 

だからこそ ぼくらは生きている限り

ビートを刻み続けて

そして、心臓が止まるまで、人生を刻む。