片隅でうたい続ける、わたしたちは。

詩人の秋野りょうと、写真家千川うた(仮)の女性二人のユニットで綴る、詩のブログです。

睡眠障害

ねむさ(まるで病的な)、まどろみ。

瞼は重く 体はだらりとしていて

 

夢の中で、古びた校舎の中を歩いていた

さまざまな手作りの座布団が披露されて

中の具が小豆であるとか何であるとか

(具は月によって変わるそうであった)

 

睡眠をうまくやらなければ

うまく、やらなければ

うまく眠らなくては

うまく、うまく

(ヒトニカオムケガデキズ シゴトガデキズ イキテイカレナクナッテシマウカラ)

 

自分の力で眠れなくなってどれだけ経つのだろうか

おなかがいっぱいになって家に帰ってきたとき、ベッドにダイブして、自然と眠くなる、あの感じがこの上なく好きだ。あれは、幸せだから。ああいうふうに、いつも眠りたいのだ。太るのは嫌なんだけどね。

女に光を与えてください。

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「女は花だ」と世間は喩えるが

 

グロテスクな棘を

虐げられた歴史を

強いられる労働を

堂々と行われるセクハラを

打ち明けられない悩みを

美しくあるために払う対価を 時間を 手間を 努力を

結婚と出産への焦りを

「ブス」とレッテルを貼られる哀しさを

毎月訪れる生理痛の苦しみを

避妊できない切なさを

性被害に遭うことの多さを

暴力に苦しめられる家庭を

共依存の抜け出せない葛藤を

家庭と家庭との問題を解決せねばならない責任感を

母親から娘に半永久的に与えられ続けるプレッシャーを

出産において「母親に必要」とあなたたちが言う痛みを

育児の中で感じる孤独を

アルコール依存から逃れられぬストレスを

耐えきれない貧困を

 

すべてを理解して それでも「花であれ」と言うのか

「咲き誇れ」と無責任に励ますのか

 

 私は、咲かない。咲こうともしていない。

 

この数十年にあたって何が進化したというのか

私は憤る 詩的でないと言われようが ずっと憤ろうと思う

 

必死で伸びる植物は

ぐんぐんと まっすぐ伸びたいはずなのに

ねじ曲がって伸びるのだ

光が足らないからに決まっているのに!

 

今、

 

私たちに必要なのは

私たち自身が光ることではない

私たちを照らす光だ

世界に、光があればよい

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ゆらり ゆらり

揺れる 波の音を

眠れない夜に iPhoneにイヤフォンを付けて 聴くのだ

 

 人生は揺れて!

 ぼくの心は揺れて!

 日本は揺れて!

 原発は揺れて!

 

ゆら ゆら。 と、

くらげのように 水族館のイルミネーションに照らされて

ぷかりぷかりと

水面まで上昇していければいいのに

 

 上昇気流に乗ろうよ

 気球に乗って、どこまで行こうか?

 ピーターパンや猫の男爵と手を繋いで、どこまでも飛んでいこうか?

 そこから見える景色は どんなに美しいのだろう

 

 どんなに、醜いのだろう?

 

 平和だった飛行機は爆撃されて

 戦闘機は飛び続けて

 何も終わらない 終わらないよ

 波の音なんて聞いたことのない人たちが 今どこかで飢えて

 iPhoneなんて持たない人たちは 今どこかで殺されて

 何も知らない少女が強姦される

 

ファンタジーだ

私も ファンタジックなのを 描きたいんだ

 

 ぼくはゆるせない

 赦せない、

 愛を人にわけあたえることを 知らない人たちを。

 そんなことが平気でまかり通る 日本を 東京を

 

東京が好きだ 好きだから

冷たい空気の中で 白い息で マフラーをきつく巻いて

イルミネーションでも 観に出かけようか

 

ぴかり ぴかり。

経済は成長していますよ 大丈夫ですよ

こんなにも「美しい国」ですよ

愛し合えばいいのか 美しいものを見て 誰か適当な男と

クリスマスを理由にして 愛し合えばいいのか?

そんなデートも セックスは 生きるためのパンですらない。

 

ぼくは ほんとうの光に ふれたい

空高く ぐんと手を伸ばして ふれたい

 

それは 聖書の冒頭に書いてある 光なのだ、たぶん。

 

私の生活、愛すべきこと

道化なのだ、すなわち。

私の人生とは 生活とは 表現とは

空虚で 全世界に公開する自慰で

くだらない。くだらない。くだらない。

 

自慰を見る人がいるならばね。

意地でもぼくがそれを魅せ続けることができる、ならばね。

 

ストリップ劇場の女優は優美に踊って一枚一枚脱ぐのだろう

ヴェールを ひらりひらりと

サロメのように

愛しい人の首を 銀の皿に置いて くちづけした サロメのように!

 

愛しい人は いつも 髪の毛がもしゃもしゃとしていて

まるでヨハネのようだ

愛しい人は 愛しいから 刹那であってもそれは愛しいのだから

しかしながら この愛は 永遠に続かないものなので

もしも私がサロメのように猟奇的ならば ホルマリンで漬けるでしょう

 

恋人の標本は 部屋の本棚の隅に飾った。

無機質な茶色い瓶は、資料を探していたら床に落ちて、割れた。

私は 恋人の死んだ目を眺めて

セックスのときだけに見せる 愛すべき表情を 思い出した。

 

そうして、残る私は 孤独だ。

私は 恋人には 理解されていないから、

ヨハネに 一方的に恋い焦がれているようなものである。

銀の皿に垂れる血を 狂おしいほどの愛を込めて舐めずとも、

私は すでに 孤独だ。

 

しかし 自らの暮らしに 希望を持つしかないのだ。

くだらない自慰に そこにどうか 私の信条があるならば

愛を語り合いたいと願う多くの人たちの役に立つのならば

そこに希望はあるのだ と思っている。

 

ジョン・レノンのようなセックスは 生きるうえで重要なのだ。

誰が 社会的なシステムに沿って 書類を出した人以外と

セックスして 人生を謳歌する私の権利を奪えるのだろうか!

ゆるぎないし、ゆるぎたくない 誰にどう言われようとも。

私は その点で 恋人のことを とても愛しているのだ、

と思う。

子供なんてね、要らないんだ。ちっともね、要らないんだよ。

わかち合うとは何か

スヌーピーのアプリを開いたら、誰かよくわからないけれど気楽で哲学的そうな女の子のキャラクターが「喜びは誰かとシェアしてこそ大きくなるのよ」と言っていた。そういえば小沢健二も「喜びを他の誰かとわかち合う!」と明るく楽しく歌っていた、そんな90年代だった。今私にはわかち合いたい人などはいないような気がする。自業自得だと冷たく切り捨てる声しか聞こえない。とてもとても干渉してきて距離のとり方を間違えている母親のことであったり、「30になってまでいい加減なセックスをするな」と初対面の人に罵倒されるような間柄の恋人であったり。人間関係としていい加減なセックスをしているのは私だが、セックス自体は特にいい加減ではないどころか充実している。そうこうしているうちに結局孤独のうちにこもるしかないのだ、と思う。年をとるごとに気むずかしい音楽家のような性格になってゆくのだろう、それはあまりにも想像するのがつらいことだ。なぜ、いつまでもあまりに価値のない矢が体に突き刺さったまま取り外せないのか。あまりにも深く見事にズブリと刺さっているので、このまま私の肉塊を焼いて食べてしまえば愉快だな、と、実に趣味の悪いことを思いついた。そうして、私は咀嚼され排出されて地中に入りこんで、いなくなることができる。

何もできないのだった

人と会うことがおっくうで

できれば誰とも会わずに過ごしたいのだが

そもそも私は本質的に人間自体が好きなのだろうか

と不安になった。

 

不安にならなくてもよい、

本質的にやはり好きではないのだと思う

特に、醜い感情に触れながら生きるのは、疲弊する

くだらない何もかもくだらないという思いが充満している

空虚だ

 

催したパーティーで気持ちがふさぎ込んで部屋に閉じこもって、

妻にすべてを任せていたシューマンの、夜の温度についてふと考える

和声は歪みはじめて、私の中で大きな音を立てて軋む。

美しいメロディーもキャッチーなメロディーも、今は要らないのだった

 

ただ無力感が広がっていて、それならば、

創作に没頭するしかないのではないか

それにしても、私には、何もできない、何も。

いなくなることは何も恐怖ではない

いなくなることは何も恐怖ではない
なぜなら私は本質的に、完全に孤独だから
しかしながら孤独はそう悪くないと思う
少なくとも、人に馬鹿にされるようなことではない

いなくなることはそう恐怖ではない

けれどもそうならないように自らをこの世界にがんじょうな鎖で繋ぎとめることは、私にしかできない。むりやりにでもよく、自分が自分のせいでない何かをきっかけに決めてしまうことを、潜伏して絶えず見張らねばならない。